世界3大ツールの一つといわれるジロ・デ・イタリアが開催中。今年も日本からはトレックファクトリーレーシングの別府史之選手(4度目)、NIPPOビーニファンティーニの石橋学選手(初出場)が参加しています。(石橋選手は残念ながら第9ステージでリタイア)
世界中が注目しているレースですので、各ブランドが新商品をお披露目する場となっております。そんな中、今年のメリダ・ランプレチームは、軽量ロードバイクの「スクルトゥーラ(SCULTURA TEAM 価格未定)」 を4回目のフルモデルチェンジ。2016年モデルとして発売する前に、世界中のメリダバイクの代理店、販売店のスタッフを対象にジロ・デ・イタリアのコースで試乗してもらおうという、自転車のりなら身悶えてしまうほど嬉しいプログラムに参加してきました。
5月9日、大阪から羽田空港、トルコで乗り換えて30時間以上かけてイタリアはミラノの北東にあるマルペンサ空港に到着。ここでスウェーデンやドイツ、スペインからの参加者と一緒にバスに乗り込み、ホテルまで。バスの窓からはアルプス山脈を望むことが出来、気持ちが高鳴ります。
ホテルに到着すると、次の日試乗するためのバイク(2016スクルトゥーラ)のポジション調整。あらかじめ出発前にサイズは伝えてあるので、身長166cmの私にはSサイズ(500mm)のスクルトゥーラが用意されていました。ペダルを取り付けてサドルを調整したら、夕方のプレゼンテーションに臨みます。
カーボンフレームのカットモデルも展示されていました。気泡など一切なくきわめて綺麗な内側です。
トレックのエモンダ(4.6kg)に対抗した、4.56kgの完成車も展示。
宿泊しているホテルで行われた約1時間のプレゼンテーションでは、ドイツ本社のメリダバイク開発責任者が直々に説明。スクルトゥーラはこれで4世代目となるのですが、過去のモデルの改良点を正直に告白し、それらを克服していったというところが特に印象に残りました。詳しくは同行していた日本人ジャーナリストが記事にした、「サイクルスポーツ」 「サイクリスト」のウェブサイトをご覧ください。そこでも書かれていますが、私が気になったのは、3代目スクルトゥーラの「やっちまった~」と言うところ。つまり、
- 23cのタイヤまでしか対応していない。当時は24c~26cが主流になるのを読みきれなかった。
- 空力が悪すぎて、軽量化によるメリットを完全に潰してしまった。エアロロードの「リアクト」の風力が良かったため、特に残念。
- 軽量化はこれ(フレーム重量740g)で充分。700gでも走るだけなら問題ないが転倒や輸送中にダメージを受けるリスクが増えてしまう。プラス40gは実用的な安全マージンということです。
翌日、サイクルジャージに着替えてバスに乗り込み、第3ステージのスタート地点「ラバッロ」に到着。私はもちろん「かわうそ店長ジャージ」(5/19から第2次予約受付開始 #かわうそジャージ )。 トラックからバイクを取り出し、45名ほどで一斉にスタート。街はすでにジロのお祭り気分。街中ピンクに飾り付けられています。私達が走っていると、既に興奮状態の街の人達は元気に声をかけてくれます。
ここで気づいたことが1つ。日本だと紫外線対策として夏でもUVレッグ・アームカバーをする方最近はかなり多いのですが、ここでは私ともう一人の日本人のみ。日焼けでヒリヒリするとか脱水症状になるとか、関係ないんですね。
我ら一行をガイドしてくれるのは、イタリア人の元プロレーサー、「アンドレア・フェリガートさん」1994年のジロでステージ優勝している凄い方。そんな方と先頭付近を走っていると、もう夢見心地で私は失神しそうです。実は空港に迎えに来てくれていたのが、このフェリガートさんでした、汗。
初めての右側走行、ロータリー交差点でしたが、慣れたメンバーと一緒だったので全く自然に走ることが出来ました。この日のコースは、まず峠を2つ越えます。一つ目の峠は約5キロ、スクルトゥーラの軽さを感じながら先頭集団でゴール。何なんでしょうね、もう日本とは全然違います。右側の車線を自転車で4列くらいになってふさいでいるのに、車から邪魔者扱いされたりすることが全くありません。クラクションは鳴らしますが、車は自然に加速して反対車線に飛び出してロードバイクを追い越していきます。ライダー達もデジカメや写真撮り放題。当然走りも上手いので、その中で私も一緒にデジカメで撮影していましたが、全く怖いということがありませんでした。この運転テクニックの巧さは、日本ではなかなか感じたことがありません。
私達のほかにもジロのコースを走っている方が大勢いました。
2つ目の峠は10キロあまり。フェリガートさんを含む先頭集団は8人くらいに絞られました。私も自分のロードバイクより2キロは軽いスクルトゥーラで必至で食らいつきましたが、残り1キロくらいで遂に千切れてしまいました。
ラストはデジカメ片手に写真を撮りながらのんびり登っていると、やっぱり沿道のお店やお家の窓はピンクに着飾れています。子供達も何と言っているのかわかりませんでしたが、走りながら応援してくれます。もう私ちびりそうに感激。
峠でりんごやバナナなどの補給食をいただくと、約10キロのダウンヒル。初めてのったスクルトゥーラでしたが、右に左にバランスよくスムーズにコーナーを抜けていきます。道路の舗装状況は日本より少し凸凹が多いといった印象。剥げた部分が結構あります。でもスクルトゥーラのフレーム剛性はしっかりしているので、はねられることなくしっかりと路面をトレースします。ヤバイ、これ欲しい~!
ダウンヒルが終わると、数キロ間隔で小さな街が現れます。ピンクのシーツやTシャツ、ガゼッタというピンクの新聞(マリアローザのピンクはこの新聞が元です)、ピンクの風船、ピンクの旗、ロータリーの中央にはピンク一色の自転車など、それぞれの街で地元の方が着飾ってくれていて、そのたびに私も走りながら撮影(日本だったら文章に出来ないですよね)。
そしてゴール地点のセストリ・レバンテが近づいてきました。海沿いの直線に入ると、だれかれともなくスプリント勝負が始まります。私もどこがゴールか分からないのですが、とにかく下ハンもってスプリントごっこに参加。
ゴール1キロ手前くらいからは柵があわられ、まさにプロ気分。危ないのでペースダウンしつつも、スペースがあるとつい掛け合いが始まってしまいます。だって観客の方々も盛り上げてくれるんですから。こっちはアドレナリン大放出。
夢のようなライドも終わってしまえば一瞬です。ホテルを数部屋用意してくれていたので、1部屋に7人くらい入って代わりばんこでシャワー。ビールをのんでランチしちゃった日にゃ、こんな1日が永遠に続いて欲しいと思うほど。
帰りのバスまでは2時間ほどあったので、ゴール地点を観戦。人口10万人ほどの街がピンクに染まっています。手際よく表彰式が行われ、この日は終了。我々もバスでホテルに戻りました。
翌日はメリダプログラムからは離れ、日本人チーム4人でレンタカーを借りての移動。フィレンツェ観光をしてから、第4ステージのゴールに間に合うようにラ・スペツィアに移動。ここは第4ステージのゴールであるとともに、第5ステージのスタート地点でもあります。そのためか前日のセストリ・レバンテより更に人の数が多い。
ジロのメインスポンサー「バロッコ」のコンパニオンさん、美人です。
ゴール地点を見学してこの日は終了。
4日目 この日の第5ステージのスタートは12時過ぎ。それまでスポンサー各社のテントを見学。世界的規模になっているツール・ド・フランスと違って、スポンサーのほとんどは地元企業。メインスポンサーの「バロッコ」は日本で言うとグリコみたいなお菓子の会社。大変盛り上がっているように見えるのですが、ツール・ド・フランスを何度も見たことにある人から見ると、観戦する人の数は全然少ないそうです。平日であるのと、ツール・ド・フランスはバカンスと重なっているからと言うことでした。
その代り、選手・スタッフまでの距離が圧倒的に近い。
午前10時を過ぎると、チームバスがやってきました。選手達もチームバスや自走でやってきます。スタッフたちはバイクを下ろし、選手は軽く体をほぐしにバスから出てきます。そうなったらサインとツーショット撮影チャンス!
日本人の別府史之選手、石橋学選手、ニッポの大門宏監督、カデル・エヴァンス選手(オーストラリア)、ダミアーノ・クネゴ選手(イタリア)、ランプレ・メリダのサッシャ・モドロ選手(イタリア)、ディエゴ・ウルッシ選手(イタリア)、プジェムィスワフ・ニエミエツ選手(ポーランド)、ツガブ・グルマイ選手(エチオピア)達とツーショット写真、サインをいただきました。
レースの前に盛り上げてくれる、キャラバン隊のお姉さん達も気さくに写真を撮らしてくれます。
ランプレ・メリダのディエゴ・ウルッシ選手は、この2日後の第7ステージでなんとステージ優勝。おそらくかわうそ店長と、輪行マイスター岩田のパワーが伝わったのでしょう。
ランプレ・メリダのチームカーにも乗せてもらいましたよ。真ん中にはコーヒーマシンがありました。
スタートは見届けず、先回りして山頂ゴール地点に移動。本来ならこんな時間からコースを走ることは出来ないのですが、ガイド役の日本人ジャーナリストがジロのプレスカードを持っていたため、関門をクリア。猛然と山頂に向かって加速。コースには既に陣取っている方、自走で登る方など、山頂に向かってきついところになればなるほど多くの人人人。皆さん観戦ポイントをわきまえてますよね。
ゴール地点に到着すると、我々も選手を応援。なんと、2日前にわれわれが乗ったのと同じ、メリダの2016新型スクルトゥーラで走るヤン・ポランチ選手(スロベニア)が単独アタックしてゴール。こんな運命的な事があるの?
表彰ステージ前でうろうろしていたら、私何と一番前のプレスだけが入れるスペースに入っちゃていました。ラッキー! こういう時は堂々としていれば怪しまれません。(ツール・ド・フランスだと偶然でも絶対にありえないこと。)そこでこの日初めてマイヨジョーヌに袖を通した、アルベルト・コンタドール選手(スペイン)とナチュラルツーショット。その横で「パオラ~」って呼んでいる人がいるのでそっちを向くと、パオロ・ベッティーニ元選手(イタリア)が。ツールもジロもブエルタもUCIワールドカップも勝っているイタリアの英雄。もちろんサインをもらって、にっこりツーショット。
この日のステージ優勝を果たしたランプレ・メリダのヤン・ポランチ選手(スロベニア)とも一瞬のチャンスでツーショット。
今回サイン帳代わりにしたかわうそ店長ジャージのおなか周りは、すっかり超有名選手たちのサインで埋まりました。満足満足。
最終日はピサをちょこっと観光してから、イタリア北部の「人」と言う字の形をした「コモ湖」に移動。スイスの国境近くの高級リゾート地で、オーシャンズ12やスターウォーズなどの撮影地としても有名です。ジョージ・クルーニーの別荘もあるそうですが、この日は会えませんでした。それにしてもこの雄大な景色、どうですか!
そこから多くのライダーを追い越しながら厳しい峠を2つ越えると、目の前に自転車の聖地とも言われるあの「ギザッロ教会」が。アルプス山脈を背景に、ひっそりとたっていました。周りには自走でやってきたライダー達が。中学生くらいの子も一人で登って来ていました。ヘルメットをかぶっているライダーは半分弱くらいでしょうか。
教会内部をしげしげと眺め、博物館の入り口をちょこっと覗いたら、もう帰りの飛行機の時間までギリギリです。
レンタカーをぶっ飛ばし、出発1時間30分前にぴったりと到着。あっという間に帰国です。
イタリアをロードと車の両方で走ってみて実感したのは、ロードバイクが道路で邪険に扱われることは決してないということでした。100年以上前からロードバイクが文化に溶け込んでいるというのは、こういうことかと。
日本が追いつくのは並大抵の努力ではできないのかな、と思いました。国民性の違いで受け入れがたいものも多くありますから。
今我々にできることは、ただヨーロッパをうらやんで真似ることではなく、日本の法律の中でのルールをきちんと守り、ママチャリに乗る家族にもそれを地道に伝えていくことしかないのかなぁ。そして、2016新型スクルトゥーラは買いだ!ということですね。
最新情報をお届けします
Twitter でWORLDCYCLE_BLOGをフォローしよう!
Follow @WORLDCYCLE_BLOG